186歳
全国で死亡確認のとれていない高齢者が多いらしいけど
186歳のじーさんが生きてることになってるらしいw

もし、生きてたらすげーーーとおもいます。
勝海舟と同年代!
激動の時代を生き抜いてきたんだね><
生で幕末の様子なんかも聞いてみたいところです。
でも、さすがに180歳超えてるとなると多分
もはや声も出せず、目も見えず、足腰立たず、耳も聞こえず・・・

そう考えると長生きするのも一種の苦しみですね。

生きて、この世の行く末を見て行きたいとおもいつつ
あまりの長生きは苦しみかもしれないと思うと
とっても複雑。


DOL

ファフ販売しました。毎度ありがとうございます
で、メインのしゃなちゃんで次回は初級者ダンジョンに
行ってみようかと思います。
陸戦は相変わらずわけわからないけど
ちょっと初心者って言葉に魅かれたw

ん~新鮮!?

コメント

マサムネ
2010年8月27日10:40

内緒なんですけど実は「生きることは苦しみの一つ」なんです!

本来であれば自力で生き延びられないときが死期なんですけど

医学で生きながらえさせているんですね。

生きることはつらい、つらいけどそれ以上の喜びがあるように

実は作られているのも内緒ですよ^^

ミカエル
2010年8月27日14:01

このやろう~~~~☆
な人間がこんなにいるなんて・・・
親が亡くなったのに、弔いたいとも感じず、
押入れにほうりこんでも胸が痛まない・・・

それを聞いても、腹が立たない人間がこんなにびっしりいるなんて、ほんとにアタシはびっくり。
もう一度、平成の教育勅語を作らなくっちゃって思ったんですけど・・・。

しゃな
2010年8月28日7:36

マサムネさん>

生きるって難しいことですね。
生きているから、こういうことも考えるんでしょね。
ここでブッダのマンガを思い出しました。
自分に大事なものがなければ死んで行くのも未練はないでしょうが
いろんな物やいろんな者があるから生きてるってことに執着するんですね。
それが苦しみの一つになってるのかもしれません。

なーんて、わけわからないまじめなこと、書いちゃいました^^;

しゃな
2010年8月28日7:40

ミカエルさん>

本当に自分の親ならば粗末になんかできない・・・。
自分の食いぶちなくしても親を弔ってあげたいって
思ってるのは、まだ老齢に達してない人間の戯言でしょうか?
自分が仕事もできなくなるくらい年をとっても
親にはいつまでも感謝の念をもっていたいと思いますね。

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